ゼンマイジャーナル

時計の「楽しさ」について

私の場合、何となく時計に関わる仕事に就き、仕事で何となく色々な時計を触ってきたのでありますが、B級アンティークや香港ウォッチを触っているうちはまだそうでもなかったのです。

が、ある日突然大量のアンティークウォッチを捌くようになってから、元々古いものが好きであったことが災いして、仕事が妙に楽しくなってきてしまったのであります。

時間が経つのも忘れて、片っ端から裏蓋をこじ開けてはそこに書いてある番号を拾い、状態を確認しては修理に出し、修理から上がった時計にベルトを付けては売りに行く。

そんな普通に考えて退屈であるはずの仕事が、やけに楽しい。

まだかろうじて、良いものもガラクタも一緒コタで流通していた1990年代、日々が得体の知れないものとの出会いの連続であったのです。

文字盤にクロノメーターと書いてあるくせに、中身はピンレバーだったり、つまんない時計だな、と思って裏蓋を開けたらムーブメントが妙に光り輝いていて、何だこれは!となったり。

分からないものは分からないなりに、時間が許す限り調べ倒す。

今のように情報も多くなかった時代、その場では結局分からなかった事も多かったけど、私という人間は、元々分からない事を追っかけまわすのは嫌いではなかったのです。

そんなこんなやっているうちに、知れば知る程に知らない事を知る。

そしたら知らない事がくやしくて、もっと調べる。

たまたまその辺にあった書籍類を読み倒してみたり、修理職人さんに聞いてみたり、他の時計屋さんに電話してみたり。。

そんな事を繰り返しているうちに中毒にでもなったのか、時計を見るとどんなムーブメントが入っているのか気になって仕方ない、となっていき、自分でも安価な割には評判がひたすらに良いオメガやインターの1950~60年代あたりの時計を少しずつ所有するようになり、とにかく時計は面白い、とのめり込んでいったのです。

古い時計というもの、かつて名機と呼ばれたものたちにしても、現在の時計と較べてどうなのか、といいますと当然の事ながら同じようにいくはずもなく、気が付けばリューズが取れ、風防が取れ、秒針が取れ、クロノグラフ積算計が勝手に動き、気まぐれに止まっては動き、動いては止まり、10万円もするロレックスがこんなにボロいはずがない、偽物だ、粗悪品だ、不良品だと怒られる。

怒る人たち、よく考えてみて下さい。

例えば日本が誇る問答無用の名車、トヨタの2000GT。

いくら名車といえ生産終了から約50年、見た目の状態が良さそうだからと新車の頃のレスポンスを期待して応えてくれる車体がどれだけ現存するでしょうか。

大変な希少性故、流通する事があればすごい値段が付くに決まっていますが、高い車だからGT-Rより遅いと怒る人がいるでしょうか。

どちらかと言えばその素晴らしいスタイリングを鑑賞するのが基本となり、たまに安全運転で走らせ、たまにボンドカーの様に急ブレーキを踏んでみたり、急加速して100m位走ってみては止まってみたり、、

そうです、その存在そのものに感謝し、恐る恐る操作し、決して無理をさせない、そんな使い方しかしないはずなのです。

つまり名品だ、名車だといっても、古いものを扱うには「いたわりの気持ち」が必要なのです。

例えば50年も前に作られたクロノグラフ、秒針のリセット位置がちょっとずれたくらいで目くじら立てていたら可哀想ではないですか。

そもそもが機械式時計という存在は約50年前、ちょうどトヨタ2000GTが生産を終了したころにはクオーツ時計に時計としての性能では到底かなわない事が明らかにされ、その時点で実質的に過去の遺物となってしまった、という事実が有るのです。

実際に命懸けの現場で、今でも機械式時計の刻む1秒に全てをかけて仕事をしている、という例は非常に特殊なはずです。

放電加工機やLIGAプロセス等による高度な加工技術や、シリシウムに象徴される新素材の投入などは、現在も機械式時計に革新をもたらし続けていますが、あくまで基本となっているのは1675年にクリスティアーン・ホイヘンス先生が発明した、テンプが生み出す等時性という不思議な現象を利用している点においては何ら変わることはなく、これが21世紀の現代において本来の意味での実用性を語るべき対象ではないことは言わずものがな、なのです。

「こんな小さな時計に、時計師さんの情熱や職人さんの根気強い仕事がぎっしり詰まっている。」

「秒針をビクつかせながらも無心に時を刻む姿に愛おしさを感じる。」

そんなことに感動出来る人達と語り合いたい、そんな気持ちを共有したい。

これがこのサイトを通じて出来たらいいな、と私が思っていることです。